raの日記
■ この震災をどう捕らえるか!
未曾有の震災とボランティア


  確かに、大変な震災です。これで、3か月近くになりますが、復興はまだ始まったばかり。本当の問題はこれからです。
  私が行こうと思ったのは、ものすごく単純な想い。「現場を見ておかなくちゃ!」ということと「被災の方々の心のケアでもできないか」と思ったことです。ところが、想像を絶する被災状況。心のケアどころか、その心へ到達できないくらい傷ついてみえるようでした。後片付けのボランティアも申し出ましたが、焼け石に水状態。現地の方々は、片付ける気力もわかず、とりあえずダンボールで仕切られた避難所で生活している様子でした。被災された方々に、カメラを向けるのもはばかられました。なんの力にもなれず、無力感を感じました。

 でも、ボランティアが無駄なのかというとそうではありません。いたるところで、ボランティアの助けを必要としています。私が行こうとしたときに、いくつかの方に言われました。「あなた一人、ボランティアに行ったところで、何になる。」「かえって邪魔になるだけだ。」
  でも、現場ではどこも人手を必要としていました。または、ボランティアが邪魔にならないよう自発的に行動するなら、やることは山のようにありました。
 行政がからむボランティアセンターでは、ボランティアを制限していました。それは、ボランティアの方々を受け入れるのに人手と手間がいると考え、被災している人へのボランティア力を平等に手配しなければと考えているからです。しかし、民間が運営を任されているボランティアセンターでは、常にウェルカムでした。(平等ではなく、できるところから行っていく。だだし、ボランティアが自己完結=自分の食事・寝るところを確保できる人に限る)

 つまり、こんな大災害のときは、それぞれの役割分担が必要です。自衛隊の役割、行政の役割、民間の役割。ボランティアコントロールは、民間が行うと最も効率を上げるような気がしました。それを物資面で行政がバックアップすれば、最高に効果を発揮する。そんな気がしました。
 では、そのようになるにはどうしたらいいか。これは、災害が起きてからじゃなくて、起きる前から民間でボランティアが活動しやすい組織を作っておく必要があります。そして、そのグループはその地域だけじゃなく、事前に遠い地域のボランティアグループと防災交流をしておく必要があります。
 いざとなったら、生き残った被災者の中のこの考え方で指示できる人が、遠方のボランティアグループに呼びかけ、本当にして欲しい、かゆいところに手が届くボランティアをしてもらえる体制を被災する前に作っておく必要があると思うのです。


自然と人工物

 自然の大災害に対して、いかに人間の作ったものが非力であるかを目の当たりにしました。町に建っているこれでもかと思える頑丈そうな建物も、見る影もありません。残っていたとしてももう二度と住めないような状況です。
  それに比べて、被災地の自然を見てみると不思議です。震災前と全く変わらないように存在しています。
  木々、大地、山、川、草花
まるで、何事もなかったかのように。そして、大地に大きく根を張った大樹の近くの家は、被害がほとんどありません。

生と死の境

  意外に思ったことが一つあります。阪神大震災のとき、テレビニュースに伝わる映像を見ていたにも関わらず、仕事で現場に行ったときはショックが大きかった(このときはボランティアで行ったわけではありません)。家のきしむ感じが伝わり、胸が締め付けられるようでした。
  東北の被害はもっと大きいと予想して行ったにもかかわらず、被害に会われた方には申し訳ありませんが、現場ではそれほどの悲惨さを感じませんでした。何か、「しかたがない。どうしようもない。」というような感じが漂っているのです。
 亡くなった方々と生き残った方々との境目がわからないのです。亡くなった方々も、本当に亡くなったという実感がわかず、生き残った方々も生き残った!という感覚が希薄なように感じました。 

世界の意識


  被災された方々の整然とした意識、日本中の方々の復興支援したいという尊い気持ち、さらに被災地の方々の精神性を見ての、世界の方々からの支援。

 何か、世界の意識が変わるきっかけが作られた感じがしていました。そこから、自分の生き方のヒントと元気がもらえればと思って現地へ向かう決意をしたのです。
 変わっていないのは、日本の国政(国会議員)と興味本位のマスコミではないかと感じています。


 この震災は、絶対に何か意味があると感じました。必死に耐える被災地の方々、無償で尽くすボランティアの方々、これらは今後の世界の模範となるだろうし、来るべきさらなる大災害へ向けての序章です。
  ここに今後の世界のあり方、人間のあり方のヒントが要約されているように思えてなりません。
 

 何事もなかったかのようにたたずむ、自然の風景。ここは、市が壊滅した陸前高田市中心街からわずか2km先の内陸です。
  もう一度、人間の行ってきた生活を見直す必要があるのではないでしょうか?


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