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- VOL6. 点字の歴史 -

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2月の例会中のことでした。

世間話に花がさいていたときのこと、
Fさんから「点字の発明には戦争が深く関わっているんだよという話を聞いて大変おどろき、調べてみることになりました。
■今、世界中で使われている6点式の点字を作ったのは
1809年にフランスで生まれ、3才のときに片目を失明、のちにもう片目も視力を失ったルイ・ブライユです。

 点字ができるまでは…
ルイ・ブライユが10才の時に学ぶことになった盲学校(バランタン・アウイが1784年に創設)では当時、紙にアルファベットの凸字を印刷した本を使っていました。

 
 ・読むのに時間がかかる
  ・本を作るのが大変で自分で書くことができない   という欠点がありました。

 バルビエ点字
フランスの砲兵大尉、シャルル・バルビエは戦場で夜でも触ってわかる暗号を考えました。
それが、もととなり、視覚障害者用の文字として使うことを思いつき、点字を作りました。最初は11点、それから改良して12点式になりました。

  ・発音が中心でつづりを正確に書くことができない   という欠点がありました。

 ブライユ点字
バルビエ点字を習ったことを元に、ブライユは研究を重ねました。
そして、1825年、何と若干15才で6点点字をつくりあげました。
その後、盲学校の先生になり、更に点字を研究し、楽譜を点字で書けるようにしました。
この点字により、やっと盲学校の生徒たちは文章を書き、本を読み、日記をつけ、手紙のやりとりができるようになりました。

ところが、点字はなかなか公式に認められず、
1854年(ブライユ没2年後)初めてフランス政府に認められました。

点字のことを「ブレール(Braille)」と呼び、点字器具や点訳ソフトなどにブレール○○という名前がついたりするのは、彼の名前に由来しています。

 ムーンタイプ
点字ではなく、ウィリアム・ムーン(自身も視覚障害者)が考案したアルファベットの形を省略して指で触って読む文字で、凸字は今も読み書きに使われています。

・晴眼者用の電子手帳の入力用文字としてムーンタイプに類似しているものもあります。

 
今では文章や数字のほかに、音符や地図などを表したものもあります。
日本では…

 日本で最初の盲学校、京都府立盲唖院では木彫りの凸字でひらがな・カタカナ・漢字を教えていました。
東京盲唖学校(1884年〜87年は訓盲唖院)では凸字を紙に印刷した本を使っていました。
他にも糸を結んであらわしたむすび文字、レンガ文字などがためされたりしました。

 1886年、東京盲唖学校に赴任した小西信八と、石川倉次、遠山邦太郎らがそれぞれの方式を勘考。
1890年(明治23年)11月1日、日本の点字として石川倉次案を採用しました。
この日が点字記念日(日本点字制定記念日)となりました。

 1925(大正14年)には世界で初めて選挙で点字投票ができるようになった。

 1966(昭和41)年、「日本点字委員会」が発足し、日本の点字の表記法を決定する唯一の機関となりました。

 川上泰一が川上式-漢点字と呼ばれ8点式でへんとつくりがもとになっている方式を考案。
長谷川貞夫が長谷川式-6点漢字と呼ばれ音読みと訓読みを元に作られている方式を考案。
1972年に最初の原案をまとめるも、漢字の表現については今だに研究が続いているそうです。
    
 参考 常滑市中央図書館「点字の世界へようこそ」@〜B 黒崎惠津子 株)汐文社
点字毎日

 1922年(大正11年)5月11日、点字の新聞「点字大阪毎日」(現在「点字毎日」)が1週間に一度発行され続けており、日本最初の点字新聞で世界唯一の点字新聞として82年の歴史を誇るという。

ちょうど、今 2004年 〜5/9まで横浜市で特別展を行っています。⇒毎日新聞

愛知県常滑市ボランティア連絡協議会登録サークル
点訳ボランティアサークル てんとう虫 代表者:美濃
常滑市本町2-237(社会福祉協議会) 0569-34-4018
  
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